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新作「像モーション」完成しました

新作「像モーション」完成しました

数ヶ月前から構想し、少しずつ作っていた新作が完成しました。

 

「時間」というものに、姿かたちがあるとしたら、どんな形をしていると思いますか??

 

マトハヅレが考える
時間の単位(日・時・分・秒)と、時間帯を表す(明・宵)をデザインし、
装身具に仕立てました。

 
時間の単位は、秒が60集まればひとつの分に、

分が60集まればひとつの時に、

時が24集まれば・・・というように捉える事ができるでしょう(この世界では実際にそうです)。

 

単位が大きくなれば内包している時間の質量も大きくなる。


ある連続性をもったフォルム群としてあらわそうと試みるならば、単位の大小で物的な大きさの差が決まってしまうことになる。

それではあくまで観念の皮殻を金属に置き換えたに過ぎません。

もっと沈潜すべきであり、何かが順当すぎるらしい。そうして時間の正体が気になりはじめるのです。


 
あらゆる事象の変化が無ければ私たちは時間を感知できません。

星々の歩み、

山麓のにわか雨、

水面にひろがる波紋、

ひとつの街を駆け抜ける風、

枝から林檎の実が落ちる、

 

この世界における森羅万象は常に動いている。

 

その動作(モーション)こそが、時間というかたちなきものを表現している。

 

時間とは、

過去から未来へ轟々と流れている河のようなものではなく、

自然の奏でる音楽にのせてつつましく明滅している。

そんな風に思うのです。

 


 
動作による音楽を構成するものは、あのオタマジャクシの形が相応しい。

つまりその単体のデザインは時間や時間帯を表す音符と言えるでしょう。

 

丸は「時」。

ひとつの面が削られているものは、「分」。

ぼこぼこ丸は、「秒」。

「時」の外側部分は、「日」。

真珠のホワイトは、「明」。

真珠のグレーは、「宵」。

 

6つの音符です。
 

 
この世界のあらゆるモーションを6つの像にあらわせば、

人々の今日という音楽が、

街に、道に、海に、野原に奏でられる。

 

新作「像モーション」。

みなさん、よろしくお願いいたします。
 
 

 

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